on Guitar
Birthday 1976/10/29 Bloodtype O
1976年10月29日鹿児島市内にて生誕(笑)はじめは太郎と名付けられるはずだったが「イヌみたいじゃが~」という祖母の一言で大に変更、ということらしい。1983年小学校入学時代、とにかくガンダム(笑)のころ。典型的なプラモ少年。歌謡曲も同居していた叔母さん(当時はまだ20代)といっしょにそれとなく聞いていたと思われる。記憶が確かなら、この頃家に白いアコギ(笑)があり、それを構えていたと推測される。1985年小学校時代同じ市内に引っ越す。転校(笑)このころも音楽には目覚めず。音楽の授業が何よりも嫌いだった(通信簿で「1」を とった!苦手、というか授業やる気なし、と判断されたらしい)相変わらずおばかなヲタク少年。1989年中学校入学~中学校時代 音楽のめざめ(笑)TMネットワークがお気に入りだった。自分で鍵盤を弾いて作曲するんだ!と自分なりに志す。が、シンセのあまりの高価さ、自身の音楽的資質、教養のなさ(笑)に気付き、自分 なりに鍵盤を諦める。しかし、ラジオで録音したアースシェイカー(だったと思う)のギターの音、いわゆるディストーションの音に再び目覚める。これがオレのやる楽器だ!!ロックギター に資質なんていらない!!! ......と思ったらしい。エレキにしびれて(笑)その後の中学生活は変わったような気がする。洋楽ロックとの出会いでまさにギター少年の道まっしぐら... でもまだエレキは買えなかった。学校の備品クラギでジェフベックとかコピーしてた。もち、リッチーブラックモアも聞きまくったし、クラプトンが歌より長くギターソロを弾きまくるのに感動していた。レイヴォーンの音と出会ったのもこの頃。1992年高校入学~高校時代 遂に念願のストラトキャスターを手に入れる! そして、バンド結成!とりあえず学園祭バンド。邦楽の某有名びいずを演奏(キーボードのひとの主導権バンドだった)超高校生級、と音楽担当の教師に絶賛された(笑)が初のステージは打ち込みの調子が悪く、大失敗。生徒の反響はものすごかったらしい。そのバンドで初めて中央公民館を借り切ってライブを行なう。ここで3人編成のバン ドを別枠で結成していた。ジミヘンを初めて人前で歌い、弾いた。1995年鹿児島大学入学、鹿大フォークに入部 最強の3ピースバンドをつくる!つもりで入部したが上手く事は運ばず........しかし、様々なバンドや上手いプレイヤーと出会いジャムセッションのおもしろさにハマる。ブルースやいわゆるR&Bの奥深さ、グルーブの重要性を思い知る。とあるバンドのボーヤをしていたところピーター池畑と平石氏に出会う。1998年学祭でピーターとバンドをつくる。クリーム、ジミヘンなど王道ロックを演奏。楽しかった。その後二人でバンドをやる話が5817に加わることに変わる。初めて他のメンバーとジャムったときの印象は、上手い! お互いの出す音への反応が早い!鋭い!だっ た... 何度か遊んでいるうちにこのバンドに惹かれていく....このバンドで自分をどこまで高められるか?そう思いはじめていた。2000年5817 初ライブ!正式にメンバーとして迎えられる。
WRITTEN BY DAI TANIMURA
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